軸受

ベアリング、半割ベアリング、ブッシュ、プレート、ワッシャ

軸受の歴史

軸受の歴史は、古代エジプトにまで遡ります。 古代エジプトの絵に火起こしに軸受を使っている様子や、そりの下に丸太を使った例が描かれています。 それから長い時間をかけて発展し、多様な目的に使われるようになりました。


■ 軸受の原理は人類の経験的知識

人類は、太古の昔から、重量物を移動するのに何らかの方法で摩擦の発生する面にころを入れたり、水、油を入れて、すべり易くなることを経験してきました。 紀元前2000年頃には、ヒッタイト帝国でスポーク付きの車輪を持った軍事用のチャリオットに軸受けが使われていました。 ヒッタイト帝国の古代の戦車チャリオットは、2~3人乗りの2輪馬車で、戦場を高速で走り回る機動ユニットでした。弓兵が高速で戦場をかけめぐることになり、恐るべき攻撃力でした。

紀元前1000年頃、ケルト人は、中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物を持ってヨーロッパに渡来しました。 彼らは青銅器時代に中部ヨーロッパに広がり、鉄器時代初期にかけて馬に引かれた戦車に乗った戦士階級に支配され、欧州各地に分立したと考えられています。 その馬車に、青銅製のハブが使われ、軸方向に円形断面の溝が32本、溝から円筒の木片が見つかり、 初期の転がり軸受といわれています。



巨大な石像が宮殿に運ばれる過程が描かれた紀元前700年頃の壁画が発見されています。石像はエジプト文明と同じくそりに乗せられ、アッシリア人が移動させています。 そりの動きを容易にするため、丸太がころとして使われていました。 ころ軸受使用の歴史上の事実です。


日本においては、三ツ塚古墳の濠から、重い石材などを運搬するために用いられたそり(修羅)と、てこ棒が出土しました。これらは運搬用であったと推定されています。 古墳近くで発掘されていることや周辺には大型古墳も点在していることから、古墳の築造や石棺の運搬に使われた可能性が大きいと考えられます。 後に実験的に修羅を復元し、古代の石引きにならって人力で引く実験が行われました。
カシの丸太を並べて、さらに丸太に菜種油を塗布すると楽に速く動くことが確認されました。 このように日本の歴史においても古代エジプト文明、メソポタミア文明と同様に摩擦や潤滑を対象とする学問であるトライボロジーの基礎技術が使われていたことが分かります。

中世から近代においては、灌漑用の大型水車に木製軸受が使われています。 こうした水車の歴史は紀元前1100年頃までに遡り、かつて、川床が低く水面も低いオロンテス川から、用水路や農地へ灌漑を行うために水車が使われていました。 また、7世紀から14世紀のヨーロッパや中国では、大きな荷重がかかる観測用天球儀や時計台などには、高価な金属製軸受、軽い荷重には木製軸受が使用されていました。



■ 現代の軸受へ

現代の軸受の基礎を考案したのは、レオナルド・ダ・ヴィンチだと言われています。 その根拠は 1493年に出されたマドリッド手稿です。 その手稿の中には、「8つの球体を同一円状に配することで摩擦は大幅に低減し、その結果、重量物も小さな力で動かすことができるようになる」とするイラストが描かれていました。 木製の球体は現代のベアリングのころに相当し、それを支える保持器の外周壁にはあらかじめスリットを設けることで、ころ同士が等間隔で同一円状に並び続けるように配慮されています。

ヨーロッパでは、1450年頃のヨハネス・グーテンベルクによる 金属活字を用いた活版印刷技術の発明で、印刷が急速に広まりました。 その後欧米においては長らく活版による文字、凹版による絵画、挿絵の印刷が行われます。 この印刷機にも軸受が使用されており、西洋梨の木を加工したころと、二つ半割り型の軸受ブロックで形成されていました。

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